高校生 パニック障害?どんな人間?どんな性格?

転職続きの過去

こんにちは、ガッツです。

今回は、前回からの続きで、高校生~大学生までの私を紹介させてもらおうと思ったのですが、
書いていたら、長くなってしまったので、今回は、「高校生」の時の事だけを書かせて頂きます。

中学生からの続きなのですが、引きこもりがち?引っ込み思案?だった私なのですが、
高校進学を機に、「これではいけない!」「自分を変えていかなければ!」という気持ちが出てくるようになりました。

幼少期から紹介させてもらっているのですが、私、基本は、真面目です。行動力あります。変に、責任感も強いです。ただ、なぜか長続きしません。疲れちゃうんですかね・・・


今、振り返ってみて、当時「パニック障害」の傾向があった私にとっては、以下のことをやりとげたこと事態、奇跡だなと思っています。


かなりハードルをあげていたなと思っています。

ちなみに、私が現在、どのような仕事をしているのかというと、このYouTubeを見て頂ければわかると思います。

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電車通学

入学当初は、普通の通勤、通学時間で登校していまして、もちろん満員。
満員電車の中では汗がびっしょり。途中で、心と体を整えるために、何回か乗り降りを繰り返して、やっと学校に到着。

電車通学、めちゃくちゃ恐怖でした。

私なりに、ちょっと改善を試みて、

家を早めに出発し、満員電車を避けるようにしたり、
すいている車両を把握して乗るようにしたり、
乗ってからのポジション取りで、後ろから視線を感じないようなポジションを見つけて乗るようにしていました。

でも、下校はいつも、19時ぐらいだったので、結構、人が多く、かなり苦痛でした。

JR山手線と都営浅草線を使っていたのですが、浅草線は、電車の本数が少なかったので、我慢して乗っていました。

山手線は、我慢できるところまで我慢して、乗ったり降りたりをして、帰っていた記憶があります。

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嫁も同じ様な傾向があって、嫁は、京王線だけなのですが、乗ると圧迫感に襲われ不安になっていたそうなのですが、飲み物やアメ・ガムを口にしていると、不安が和らいだそうです。

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集団生活

高校は、私を知る人は、0の状態で、人間関係を1から作ることが、高校の集団生活のスタートでした。

中学生の引きこもりがち?引っ込み思案?な私が、かなりハードルをあげて進学していますよね。
今、振り返ると、私も、ビックリです。若いって、素晴らしい。
現在の私は・・・



当時、1つ恵まれていたことがあって、共通の目的のある仲間がそろっていたということです。

私の通っていた高校は、「コース制」でして、「保健体育コース」という体育・スポーツに特化したコースがあり、私はこのコースを選んで受験し入学していました。

クラスが、「保健体育コース」を選んで入学してきた生徒で構成されていて、みな、それぞれ、専攻しているスポーツがあり、一応、この高校で専攻しているスポーツをやることを目的に集まったメンバーでした。

クラス替えもなく、3年間、同じクラスメイトでした。


なので、放課後は、バイトや遊びに行くといった流れではなく、みな、ほとんど「部活」といったスタイルのクラスでした。

私はサッカーを専攻していたのですが、サッカー部のメンバーとは、入学前から部活の練習に一緒に参加していたので、サッカーを通して人間関係を築くことができていたので、人間関係を作る部分の不安は、ちょっと解消されておりました。

普通の高校に通って、周りが、バイトや遊びに行くという流れだったら、もしかしたら、中学時代と変わらず、引っ込み思案のままだったかもしれません。

共通の目的のある仲間がいた高校を選んでいて良かったなと思っています。

サッカー部以外のクラスメイトとは、
在学中は、数人ほど、心を通わすことのできた仲間がいました。

結構、私、オーラを出して自分の領域に他人を入らせないようにしていたのですが、

気にせず入り込んできてくれた仲間たちがいまして、その仲間たちは、だれからも慕われるような存在でして、ことあるごとに、私のことを巻き込んでくれました。

最初は、オーラ全開にして弾いていたのですが、結構、しつこかったおかげで、私も少しずつ、心を開くようになり、その仲間たちといると、小学生の時のような素の自分を出せるようになっていき、

体育祭、文化祭など学校行事の方も積極的に参加するようになっていきました。

当時は、仲間、先生方に恵まれ、なんとか人間関係を作ることができていました。
社会人になって、仕事での人間関係も、なんとか作れていたと思うのですが、長続きしてないんですよね。なんでなんだろ・・・

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バイト

家の経済的に厳しい状況は変わらなかったので、こんな私でも、バイトやっていました。

バイトを始めたのは、経済的な理由もあるのですが、たぶん、電車通学ができるようになって、高校生活にも慣れてきて、自分に自信が持てるようになってきたからだと思います。長続きはしていませんが・・・

どのような感じだったかというと、

高校1年の2学期ぐらいから高校2年の2学期ぐらいまで、週2回ほどバイトを始めました。
地元のハンバーガー屋さんの調理をやっていました。
辞めた理由は、高校、部活との両立に疲れたから。

次、単発で引っ越しのバイトをやりました。
1回で辞めました。
辞めた理由は、かなり厳しい指導があり、心が折れました。いま振り返ると、かなり「パニック」を起こしていたと思います。
※このようなことが、この先で書かせてもらう「転職続き」の場面で、多く出てくると思います。

次、高校2年の2学期はじめから3ヶ月間、秋葉原で天丼屋さんの皿洗いをやりました。
部活が終わった後に、帰りがけにできるバイトはないか探していたところ、20時から22時で募集していたのでやっていました。週2回ほど。
辞めた理由は、高校、部活との両立に疲れたから。

次、単発で、高校2年の12月末、10日間ぐらい、T京タワーでお客さんの誘導、エレベーターボーイをやりました。
これは、やりきれました。

次、高校生3年の夏休みから3ヶ月間、地元の居酒屋で調理、皿洗いをやりました。
辞めた理由は、大学受験の勉強のため。

全て、数ヶ月間ぐらいで辞めていますが、唯一、短期間のバイトなのですが、3年間続いたバイトがあります。
お正月限定の7日間ぐらいで、高校の仲間のお母さんが働いていたお店で、毎年、同じ高校の仲間とやっていました。
続けられた理由は、短期間だったこと、私のことを理解してくれている人が周りに多くいたからだと思います。

という感じで、転々とするスタイルでやっていました。

いま振り返ると、当時の私としては、かなり頑張っていたなと思います。

現在のスタイルにも、共通していることが多くあるなと思っています。
やることが3つぐらいになると、頭の中が、真っ白になるんですかね・・
疲れたら辞めちゃうスタイルでした。

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大学受験

部活を、高校3年の夏に引退して、夏休みから始めたバイトと文化祭が近かったので、高校とバイトという形で専念していました。

仲の良かった仲間が大学に進学する希望だったので、私も、流れで大学の見学などに行って資料を集めていたりしたのですが、私の家の経済状況的に、やはり大学進学は厳しい状況でした。

この先、どうしようかなと漠然と考えながら、高校、バイト生活を送っていました。

就職して働くと言ったイメージも全く持っていなかったです。

ただ、「スポーツには携わっていたいな」という漠然とした気持ちは持っていました。

私は、高校時代、出会った人に恵まれていました。

たまたま、保健室の先生と話す機会があって、進路の話になり、

「新聞奨学制度」という制度を教えてもらいました。
新聞配達すれば、上限はあるのですが大学の費用を負担してくれるという制度です。

私は、東京と神奈川にキャンパスがある某体育大学を希望していました。

新聞配達をしながら通うのに、いろいろ業務内容的に問題があったのですが、

私は本当に恵まれていて、
保健室の先生の旦那さんが販売店の所長をしていて、私の事を伝えてくださり、

所長と面談をし、私が大学に合格したら、大学に通える形で雇ってくれるとの話になりました。

私、「これだ!」と思ったら、「これしかない!」と思い込んでしまい、後先のことを考えず、突き進んでしまいます。
この性格、良い面で発揮される時もあれば、人間関係をこじらせる原因になっているかも・・・ふと、思いました。

漠然としていた事が、1つのゴールが見えた気がして、一気に受験モードに切り替えて、バイトも辞め、勉強と実技の練習に没頭していきました。

受験4ヵ月前ぐらいからのスタートでしたが、かなりやり込んで、なんとか合格することができました。

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今日は、ここまで

根本的な、「パニック障害」の傾向がある体質、性格は変わってはいないのですが、

高校生になって、ちょっと自分で対処法を考えたり、私を理解してくれる人がいる環境にいたおかげで、

人の目線を気にせずに、「頑張る自分」を出せるようになっていきました。

この次は、新聞配達をしながらの大学生の時のことを書かせて頂きます。


この記事を書いているのが、2021年2月初旬なのですが、現在の仕事でやらかしました。
また、ガッツ家に危機が起こりました。本当に、危なかったです。今度、お伝えさせてもらいます。

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